教会になる



ビリー・グラハムがまだ若かった頃、アメリカの南部モンゴメリーで持たれたクルセードの講師として招かれた。モンゴメリーはキング牧師で有名な町だが、人種差別の激しい地域であった。ビリー・グラハムは、このクルセードで、白人と黒人の席を分けることを拒否し、白人と黒人の合同聖歌隊を作ることを要望した。南部のメディアは、一斉に彼を批判し、新聞は「田舎者ビリー・グラハムは教会を100年前に戻すためにやって来た」と、でかでかと一面に載せた。しかし、クルセードの当日、ビリー・グラハムは大会衆とメディアを前にして一寸もひるむことなくこう語ったのだった。「私が教会を100年前に戻そうとしているなら、私の働きは失敗だ。私は100年前ではなく、2000年前に戻そうとしているのだから」と。ビリー・グラハムが説教の中でくり返した語ったワンフレーズがある。「But the Bible says(しかし、聖書は言っている)」だ。
ある人が言った。「教会に行く人は多いが、教会になる人は少ない。」教会とはキリストの体である。確かに、教会に通う人は多いかも知れないが、キリストの体なる教会になる人は少ないのではないか。昨日はペンテコステ(聖霊降臨記念日)、初代教会誕生の記念日だった。聖霊に満たされた初代教会のメンバーの活躍が使徒言行録に記録されている。2000年前の教会である。さあ、聖書に帰ろう。私は教会になりたい。「キリスト者はキリストのごとく、教会は使徒行伝のごとく。」

今週も大切なことを大切に。

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聖霊があなたがたに下る時

ペンテコステ礼拝
メッセージ 「聖霊があなたがたに下る時」長谷川神学生
聖書 使徒言行録2章1-4節ほか

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

コリントの信徒への手紙二
3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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真理を行う者は光の方に来る



イエスが「わたしの国」とくり返し語ったので、ピラトは尋ねました。「それでは、やはりあなたは王なのか。」イエスはお答えになりました。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と。そこでピラトが漏らした言葉が、「真理とは何か」でした。たとえ、それがほんの一瞬であったとしても、ピラトの心によぎった重大な問いかけでした。本当はこの時、彼も「真理とは何か」という問いの前に立ち止まり、もっと真剣に向き合わなければならなかったのです。
イエスは仰せになりました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と。ピラトは、目の前に真理が立っているのを見ていながら、真理を見出せなかったのです。
三浦綾子が読者からの14の人生相談に答えた「小さな郵便車」という本があります。最後の相談は、30歳でご主人に急逝されて以来、飲食店を営まれ、成功し、三人の娘さんも幸せな結婚をなさったという、いわば幸せを絵に描いたような日々を送っている方からの相談です。
自分の人生に何の意味もないという虚しさ、不安感を持ち、信仰を持たぬ限りこの不安は消えぬように思うという相談に対し、三浦綾子さんは、聖書を読み、神を求めて祈るようにこう勧めます。「神を求めるには、第一に決意しなければならないことがあります。自分自身の好みとか、考えとか、世間体とか、そうしたものに固執しないことです。つまり、私を捨てるということです。」そして、こんなことも書いています。「光に背を向けている人には自分の影しか見えません。」「光に背を向けて歩む時、私たちは私たち自身の暗い影しか見ることはできません。しかし、百八十度の回転をして、くるりと方向を変え、光に向かって歩き出す時、もはや私たちは自分の暗い影におびえることなく、光のみを見る」のです。イエスは言われます。「真理を行う者は光の方に来る。」「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

教会暦では次の日曜日が聖霊降臨記念日です。真理の御霊である聖霊を待ち望みましょう。

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愛に動くイスラエル

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コリントの信徒への手紙一13章から。

13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。

先週に続き、『あかしびと』の巻頭のことばからのお勧め。
イスラエルでは五旬祭(ペンテコステ)に読まれるルツ記を中心に、愛が人を動かすということを教えていただきました。

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罪がわかった時に、神が見えてくる



作家の三浦綾子、ご主人の光世さん、ご夫妻による「綾子・光世 響き合う言葉」という本があります。綾子さんの作品の中から、心に響くフレーズが右のページに、それを受けて左のページに光世さんの言葉が書かれている、響き合う言葉です。この本からひとつ紹介します。
(綾子さん)本当に自分が悪かったと思う時、人間は思いもかけぬ大きな平安が与えられるのだ。罪がわかった時、神が見えてくるのだ。驚くべき新しい世界がわかってくるのだ。
(光世さん)妻綾子が、13年の闘病中に示された確信。「罪がわかった時に、神が見えてくる。」
このあと、綾子は喜びの一生を生きた。
今月のオープン礼拝のテーマは「真理とは何か」でしたが、「罪がわかった時に、神が見えてくるのだ」というこの短い言葉の中に、聖書が教える「真理」がみごとに表現されていると思いました。聖書のことを英語では「バイブル」と言いますが、「ザ・ブック」と言えば、これも聖書のことです。本の中の本、この一冊の本と言えば聖書のことです。ところで、本という漢字には秘密があるのをご存じですか。上下を逆さにすると、本が開いて、そこに十字架が現れます。聖書は分厚い本ですが、この十字架がわかると、聖書の教えはとてもシンプルです。
カール・バルトと言う20世紀を代表する神学者がハーバード大学で講演をした時のことです。一人の学生が尋ねました。「先生の書物はどれも深遠で、私にはよくわかりません。先生は、聖書から何を学ばれ、何を伝えたかったのでしょうか。わかりやすくひと言で教えてください。」すると彼は楽しげに鼻歌をまじえてこう答えたというのです。「Jesus loves me! The bible tells me so.(イエスは私を愛している。聖書は私にそう伝えています。)」これこそ、聖書が私たちに伝えている真理、十字架の言葉です。

今週も大切なことを大切に。

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真理とは何か

6月のオープン礼拝
礼拝メッセージ 「十字架の言葉(真理とは何か)」
聖書 ヨハネによる福音書18章37-40節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(164)

18:37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
18:38 ピラトは言った。「真理とは何か。」
18:38 ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。
18:39 ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」
18:40 すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

コリントの信徒への手紙一
1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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子供は大人の父



イエスは子供たちを集めて言われました。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と。
イギリスの詩人ワーズワースの「虹」という素敵な詩があります。「空に虹を見るとき、私の心は躍る。私の生涯がはじまった時に、そうであった。大人になった今もそうだ。老いてもそうであってほしい。でなければ死んでしまいたい。子供は大人の父だ。だから、わたしの生活の一日一日が自然への愛で結ばれてほしいものだ。」
有名な「子供は大人の父」というフレーズはここで使われます。子供の頃に抱いた自然への畏敬の念を忘れないようにしたいものです。幼子のようになるとは、幼子のような驚きの心を失わないということです。
今回、徳島の聖会に同行してくださった名古屋教会のメンバーがいます。徳島出身の方で、その方のお母さまがパウロ教会の礎となりました。古い『ぶどう樹』に「無限の大愛」という題でその方の救いの証しが載っています(96号)。キリストを心に迎えた驚きが単純に記されている感動の証しです。
昭和34年2月、「我戸の外に立ちてたたく。我が声を聞いて戸を開かば我その内に入らん」との御言が強く胸を打ちました。「主よ、我が心の扉を開きます。わが内にお入りください」と祈り求めて御名を呼びました。このとき主御自身はひそかに我が内に入って下さったのでありました。次の集会に出ました時、たまらなく御名が慕わしく、また御名を唱えました時、何とも云えない命の躍動を内に感じたのであります。しかしこれが内住経験であるかまだ、鮮明には自覚できませんでした。「主よ、来るべき者は汝なるか他に待つべきか」と祈りました時、主はわが内より『我は主なり』とお答えくださいました。永遠の生命を御名により体験する。御名こそキリスト御自身、神御自身でありました。わが心は喜びにあふれトマスのごとく、「わが主よわが神よ」と心から内に宿り給うた生けるキリストを拝したのでありました。

明日から6月です。

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6月のオープン礼拝



6月のオープン礼拝(キリスト教のススメ)、テーマは「真理とは何か」。
毎月第1日曜日(今月は第2日曜)は、教会は初めてと言われる方にも入りやすいオープン礼拝です。
ぜひお出かけください。弥富公園東、丘の上の教会です。
入場無料、駐車場あり、お子さま同伴も歓迎します。

オープン礼拝は、日曜の朝10時30分から。
弥富公園東、丘の上の教会。

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愛に動くイスラエル

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
コリントの信徒への手紙一13章から。

13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。

今週は『あかしびと』の巻頭のことばからお勧めがありました。
合唱団の証しも入り感謝でした。

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わたしの国



イエスとピラトの対話です。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」ここでイエスが三度もくり返し語られた「わたしの国」という言葉について考えてみましょう。イエスが、この世には属さないと言われた「わたしの国」こそ、神と人が、そして神を中心に、人と人が美しい調和を実現した神の国です。ここで使われている「国(バシレイア)」という言葉を、ヨハネは第3章でも使っています。あのニコデモとの対話です。
ユダヤ人の指導者の一人であるニコデモが夜、密かにイエスのもとを尋ねます。彼は最高の敬意を払って、「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしは、だれも行うことができません」と挨拶しましたが、イエスは単刀直入、彼の問題の核心を突き、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と語られました。
この新たに生まれなければ入ることのできない神の国を実現するために、イエスは十字架に上げられなければならなかったのです。イエスが宣教の始めに語られた言葉を覚えているでしょうか。救い主としての働きを開始されたイエスは、開口一番、こう宣言されました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
「主の祈り」もそうです。「父よ、御名があがめられますように」と祈った後、最初の祈りは、「御国が来ますように」です。「御国に入れますように」ではありません。御国が来ますように、どこに。ここに。「ここも神の御国なれば」です。イエスは言われました。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と。

今週も大切なことを大切に。

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