明日がある



今月15日、世界文化遺産でパリの象徴でもあるノートルダム大聖堂が大規模な火災で、建物の一部が焼失しました。1163年着工の大聖堂は、ゴシック建築の代表建造物であり、1804年には皇帝ナポレオンの戴冠式もここで行われ、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」の舞台でもあります。大聖堂は単にフランス・パリの象徴というだけではなく、宗教・歴史・文化のシンボルでした。
火災の翌日、「消失を逃れた十字架を確認」と報じられ話題になりました。「外から差し込む明かりが、床から立ち上る煙や、左側の壁を白く照らす中、入口から真直ぐ向かった先に十字架が消失を逃れて立っている様子が確認できる。」十字架のもと、差し込む光の先には、ピエタ像も写っています。
10時間以上燃え続けた大聖堂を見たパリ市長は「私たちの一部が燃えている」と語り、フランス国民だけでなく世界がショックと悲しみの内に沈みました。そんな中、駆け付けたマクロン大統領は、大聖堂が火に飲み込まれていく光景を目にしながら、「明日から、私たちは大聖堂を再建する」と力強く語らっていました。まるで焼け残ってなお光り輝く十字架のように、問題や試練の中でも屈することなく、明日に希望を託して立ち上がる一国のリーダーに敬意を表したい気持ちになりました。
先週はイエス・キリストの復活を祝うイースターでした。死と闇の力を打ち破り、キリストはよみがえられたのです。焼失を逃れた十字架は、私たちにもキリストの十字架のゆえに「明日がある!」というメッセージを伝えてくれているように思えます。

平成から令和へ。今週も大切なことを大切に。

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ノートルダムの鐘

礼拝メッセージ 「ノートルダムの鐘」
聖書 ヨハネによる福音書18章28-32節
ヨハネによる福音書シリーズ(160)

18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
18:29 そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。
18:30 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
18:32 それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。

ペトロの手紙一
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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平安と驚き



キリストが復活された日の夕べのことでした。弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。イエスは十字架の上で付けられた手と脇の傷を弟子たちにお見せになりました。すると「弟子たちは主を見て喜んだ」と聖書に書かれています。
詳訳聖書では、この喜びが次のように訳されています。「弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。」欣喜雀躍する弟子たちの姿が生き生きと描かれています。私たちの罪のために十字架で死に、三日目に復活されたキリストこそ、私たちの喜びの源泉なのです。
キリスト教の中心は、イエス・キリストの十字架と復活です。別の言葉で言えば、十字架によって罪を赦された平安と、死の力が打ち破ぶられた驚きです。平安と驚き、これこそイースターのメッセージ、そしてキリスト教の原点です。十字架によって私たちの罪が赦されたという平安、キリストが死を打ち破り、今も生きておられるという驚き。ここにこそ、私たちの人生を再建させるに必要な知恵が、希望が、十分に備えられているのです。二千年前のあの日のように、私たちもこの平安と驚きの神に出会うことができるのです。この平安と驚きを失うことがありませんように。
「イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。」

平成から令和へと時代が移り変わります。明日への希望と共に、だれもが大きな花を咲かせる時代となりますように。

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心は燃ゆ

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ルカによる福音書24章から。

24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

復活の主との心燃やされる出会いが与えられますように。
『あかしびと』から「十二の御名」の記事の一部も合わせて学びました。

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再建に必要な知識は十分にある



パリのノートルダム大聖堂で大規模な火災が起こり、850年もパリを見守り続けてきた歴史的な大聖堂が焼け崩れる映像が世界に流れました。廃墟と化した聖堂の中、ただ祭壇の十字架だけが残されている写真も話題になっているようですが、様々な形でメディアに取り上げられています。その一つ「ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの」という記事を読みました。
「穏やかな春の夕暮れ、ノートルダム大聖堂は炎に包まれた。パリの警察と消防隊員は、一刻を争うようにして持ち運び可能な貴重品の数々を建物の外へ運び出した。そのなかには、キリストが十字架刑に処せられたとき頭にかぶせられていたとされるいばらの冠や、ルイ9世が着ていたとされる服が含まれていた。(中略)だが、残念ながら動かせないものもあった。北塔と南塔の巨大な鐘は、フランス史上重要な出来事があると鳴らされてきた。8000本のパイプからなる巨大オルガンは、完成までに数世紀かかり、大聖堂を荘厳な音楽で満たした。太陽の光を受けてきらめく巨大な円形のステンドグラス「バラ窓」は、中世の時代から大聖堂の通路を照らしてきた。本記事の執筆時点で、これらの損傷の程度はわかっていない。今のところわかっているのは、既に多くの動画や写真にも記録されているように、エッフェル塔に並ぶパリの象徴として空高くそびえていた19世紀の尖塔が炎に包まれて崩落したということだ。(中略)専門家は、ノートルダムを元の形に戻すために必要な知識は十分にあると語る。屋根裏の構造はすでに細部まで調査され、3Dスキャンしたデータが残されている。専門知識を持った職人は、中世の大工が使っていた道具を扱う技能も備えている。」
再建に必要な知識は十分にある。・・・ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの。いかがでしょうか。人生にも傷ついたり、崩壊したりするような時があるかも知れませんが、聖書には、私たちの人生を再建させるのに必要な知識が十分に備えられています。その最大の望みは、イエス・キリストの十字架と復活です。復活の主を見上げましょう。
来週の予告です。来週は、平成最後の礼拝メッセージを「ノートルダムの鐘」と題して語ります。お楽しみに。

今週も大切なことを大切に。

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平安と驚きの神

イースター音楽礼拝(春の召天者記念礼拝)
聖歌隊合唱 「たぐいなき愛」
メッセージ 「平安と驚きの神」
聖書 ヨハネによる福音書20章19-20節ほか

20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
20:20 弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。(詳訳聖書)

19:19 ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
19:20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。

イースター、おめでとうございます。
今週は礼拝に続き、祝賀会(歓迎会)、教会学校のお楽しみ会がもたれ、盛り上がりました。
すべての恵みに感謝します。

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イースター音楽礼拝



次の日曜日はイースター音楽礼拝です。
聖歌隊がキリストの十字架と復活「たぐいなき愛の物語」を歌います。
ぜひお出かけください。

合唱 シエキナ聖歌隊(名古屋教会)
聖書の話し 宮本博文牧師

礼拝後、軽食会、歓迎会あり。
春の召天者記念礼拝も行われます。

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絶望はとなりのひとに聞いた



6回に及ぶイエスへの審問の中で、夜が明けるのを待つわずかな時間の出来事を伝える場所があります。これは聖書には書かれていないことですが、伝説によると、そのわずかな時間、イエスはカイアファの屋敷にある地下牢に収監されたと言うのです。
今は地下牢に下りる階段もありますが、そこは縦穴式の地下牢で、丸い穴から下につり降ろされると、もはや自力で這い上がることはできませんでした。まだ花冷えのする季節、その冷たく、狭く、薄暗い地下牢にイエスは一人つり降ろされ、一睡もできないまま朝を迎えたのです。その顔には殴られた痕が青あざとなって残っていました。
以前、ある牧師が、聖地巡礼でこの地下牢を訪れた時の印象を証ししてくださったことがあります。この地下牢では詩編88編が朗読されることになっているそうです。詩編88編は、詩編の中で最悪の詩編です。多くの詩編は、苦悩の叫びから始まりますが、やがて悲しみを克服し、希望を見いだして終わります。しかし、この詩編は、解決のないまま、悩みで始まり、嘆きで終わるのです。

88:4 わたしの魂は苦難を味わい尽くし/命は陰府にのぞんでいます。
88:5 穴に下る者のうちに数えられ/力を失った者とされ・・・
88:7 あなたは地の底の穴にわたしを置かれます/影に閉ざされた所、暗闇の地に。
88:9 ・・・わたしは閉じ込められて、出られません。
88:10 ・・・来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。
88:15 ・・・主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。
88:19 ・・・今、わたしに親しいのは暗闇だけです。

その牧師は声を震わせながら、次のように証しされました。「地下牢の片隅に詩編88編が開かれており、それを私が読むことになった。ところが、読み進むにつれて、これは私のかつての姿であるとの感動が突き上げてきた。恐るべき魂の暗闇に突き落とされた日のことを思い出しながら、キリストがこの地下牢のように深い穴から、私を贖い出すことができたのは、キリストご自身が、この深い穴の底まで降ってくださったからでした」と。
だとすれば、詩編88編は、ほんとうに希望のない詩編でしょうか。キリストが地下牢のように深い絶望の穴から、私たちを贖い出すことができるのは、キリストご自身が、この深い穴の底まで降ってくださったからなのです。やなせたかしさんの詩を思い出します。「絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた。絶望はとなりのひとに聞いた。『あなたはいったい誰ですか』。となりのひとはほほえんだ。『私の名前は希望です』。」
たとえ、どんな絶望的な状況に置かれていたとしても、主には望みがあります。

今日は聖金曜日、次の日曜日は復活祭です。

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過越の小羊なるイエスとの出会い

今週も祈祷会を大切に。今週は受難週の黙想会でした。
御言葉をシェアします。ルカによる福音書22章ほか。

22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。
22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。
22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

コリントの信徒への手紙一
5:7 キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。

私たちのためにすでに屠られた過越の小羊を信仰によって受け取りましょう。

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ローマの法廷へ



最後の晩餐の後、ゲッセマネの園で捕らえられたイエスに対する裁判が続きます。イエスの裁判については、四福音書を総合的に見ると、その詳細がわかります。繰り返しますが、イエスは、ゲッセマネでの逮捕後、翌朝までに、少なくとも6回の審問を受けていることがわかります。ユダヤ人による宗教裁判が3回、ローマによる政治裁判が3回です。
まず、ヨハネだけが記す、大祭司カイアファのしゅうとアンナスによる予備審問。彼は元大祭司で陰の権力者でした。その後、時の大祭司カイアファの屋敷で、最高法院のメンバーを招集して行われた深夜の裁判。この裁判は明らかに非合法なものでした。規定によれば、最高法院の裁判は、神殿内の「裁きの部屋」で行われることになっており、朝のいけにえが捧げられる午前9時よりも前に、行ってはならないことになっていたからです。それから、ヨハネ福音書には記されていませんが、少し時間をおいて、夜明けを待って再び開かれた最高法院で、イエスの死が結審します。これは深夜に行われた審議を少しでも正当化するための形式的な集まりにすぎませんでした。
ヨハネには、「人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった」と記されているだけですが、他の3つの福音書は「夜が明けると」という共通のキーワードを用いて、祭司長、長老、律法学者たち、つまり最高法院全体でイエスを殺そうと相談した後、イエスを縛って総督ピラトに渡したということが書かれています。このようにして、法廷は宗教裁判から政治裁判へと移っていきます。ではなぜピラトのもとに連れて行く必要があったのでしょうか。イエスを死刑にするためには、ローマの許可を必要としたからです。それは、イエスの死のほんの少し前のことだったようですが、ユダヤの最高法院は、死刑執行権をローマに剥奪されていたのです。ここに歴史の不思議な巡り合わせがあります。あるいは、神のご計画があると言った方がよいでしょうか。
もしユダヤの最高法院に死刑執行権があったとしたら、どうなっていたでしょう。イエスはまちがいなく、石打の刑で処刑されていました。もしイエスが石打の刑で死んでいたとするなら、イエスの死は贖罪の死とはなり得なかったのです。なぜなら、その死が贖罪の死となるためには、二つの条件が満たされる必要があったからです。イエスの死が、過越祭の期間の死であることと、木に架けられた呪いの死であることです。
もう少しヨハネ福音書を見ておきましょう。「しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。」彼らは、異邦人の家に入ると宗教的に汚れてしまうという、言い伝えに過ぎない掟に縛られ、総督官邸に入ろうとはしませんでした。過越の食事ができなくなると困るという理由です。彼らは、このような細かい掟を守ることを大事にしながら、愚かにも神から遣わされたメシア、神の御子を殺すという大罪を犯そうとしていることに気が付きませんでした。

今週は受難週です。今週も大切なことを大切に。

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