Go and Tell

礼拝メッセージ 「Go and Tell(行って伝えなさい)」
聖書 ヨハネによる福音書20章15-18節
ヨハネによる福音書シリーズ(186)

20:15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
20:16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
20:17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
20:18 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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振り向くと



マグダラのマリアである私たちは、墓の前に立ち、死に向かって対峙し、泣いています。よく考えてみると、社会全体が泣いています。聞こえてくるニュースが泣いています。園の墓の前に立っては、だれも罪の支払う報酬である死から免れることができないのです。しかし、決定的なニュースが私たちに届けられました。それは、私たちの後ろに立っている方がいるというニュースです。この方は、十字架で死んで葬られ、陰府に下り、3日目に死人の中からよみがえってくださいました。そんな話し、にわかには信じられませんか。それなら、マグダラのマリアと同じです。彼女もまさかイエスがよみがえったとは思わないで、泣き続けていました。でも私たちが信じる前から、すでに死の力を打ち破った方は、あなたの後ろに立っておられたのです。あとはただ、マリアと同じようにふり返ればいいのです。
マタイ福音書18章3節、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天国に入ることはできない。」この「心を入れ替えて」という部分、これが「振り向く」と同じ言葉です。キリスト教というのは、そんなに難しいものではありません。ただ心を入れ替え、方向転換すること。声の聞こえる方に振り向けばいいのです。
イザヤ書30章21節にはこんな言葉があります。「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け』と。」あなたも聞いてください。背後から語られる声を。
過去に許されない過ちを犯し、自分を責めている方がいるでしょうか。「父よ、彼らをお赦しください。何をしているのかわからないのです。」「子よ、安心しなさい。あなたの罪は赦された」という声が聞こえるでしょう。他人を責め、絶対に許させない、愛せないという人がいますか。「わたしがあなたを愛したように、互いに愛し合いなさい」との声が聞こえてきます。人生、これで終わりだ。生きる力も希望もないという方。愛する者を失って涙が止まらない方。あなたの後ろに立つ御方がこう言われます。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」さあふり返ってください。振り向けば、そこにイエスがおられます。

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この命の言葉を語れ(1)

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
使徒言行録1章から。

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

昨年出版された『この命の言葉を語れ』を祈祷会で学ぶことにしています。
教会が使徒言行録のようになれますように。

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七つの大罪



2009年、ガリラヤ湖畔の町マグダラで驚くべき大発見がありました。今まで7ヶ所しか見つかっていないイエス時代のシナゴグの遺跡が発見されたのです。イエスが活動されたガリラヤ湖畔に建っている会堂ですから、イエスが来られたことはまちがいないでしょう。マグダラのマリアの出身地ですから、彼女もそこを訪れたことがあったでしょう。現在そこに素敵なチャペルが建てられています。
ところで、マグダラのマリアとは、どんな女性だったのでしょう。聖書は7つの悪霊を追い出してもらった女性であったことを明記しています。マルコとルカの2つの福音書にそう書かれていま。ルカ福音書では8章に出てきますが、その直前の7章の最後に、罪の女と呼ばれる女性が出てきます。イエスに香油を注いだ女性です。ある聖書学者は、この女性これマグダラのマリアであろうと考えます。つまり、7つの悪霊に取りつかれる背後に、それだけの罪深い過去があったと言うことでしょうか。彼女は、自分の力ではコントロールできないほど、過ちをくり返してしまう、弱くてもろい存在であったのです。などと人事のように言っていますが、マグダラのマリアとは誰のことでしょうか。
カトリック教会では、イエスが語られた人間の心から出てくる罪のリストを整理して「七つの大罪」ということを教えます。暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬。これを見て、自分には当てはまらないから大丈夫と言える人はいないと思います。さらにカトリック教会は、「現代の七つの大罪」ということを2008年に発表しています。遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困、過度な裕福さ、麻薬中毒。ここまで来ると、個人の罪というよりも、社会全体の罪です。この罪の文化の中に縛られ、その中に生きる私たちは、もはやこの問題から逃れることができないということなのでしょうか。
ほんとうは神の像に造られ、美しいエデンの園で幸せに生きていた人間が、今や見る影も無い、罪に汚染された、醜い心を隠し持って、いいえ、もう隠しきれない世界で生きているのです。この園の墓の前で泣き続けている現代のマグダラのマリアとは私のこと、私たちのことなのです。もし、それを認めることができないというなら、それこそ七つの大罪のひとつ、傲慢なのではないでしょうか。

今週も大切なことを大切に。

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振り向くと、イエス

2月のオープン礼拝
メッセージ 「振り向くと、イエス」
聖書 ヨハネによる福音書20章11-16節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(185)

20:11 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
20:12 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
20:13 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
20:14 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
20:15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
20:16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

イザヤ書
30:21 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け」と。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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愛による変容の奇跡



神の愛による変容の奇跡は、どれだけ多くの砂漠のような心を、美しい愛の花が咲き薫る主の園のように変えてきたことでしょう。イエスとサマリアの婦人との出会いの中にも、神の愛による変容の奇跡を見ることができます。
だれも水を汲みに来ない昼下がりに、水がめを担いで井戸にやって来たワケありの女性。5人の夫がいたが、いま一緒に住んでいるのは夫ではないというのですから、よほど飽きっぽかったのか、わがままだったのか、美人だったのか、自堕落な生活をしていたとも言われる女性ですが、確かなことは、彼女が満たされない心を(荒れ野のような、荒れ地のような、砂漠のような心を)持っていたことです。私はその人に会ったことがあります。どこで。鏡の中にいました。それは私のことです。そう、イエスとサマリアの婦人の物語は、私の物語だったのです。
炎天下、旅に疲れたイエスが「水を飲ませてください」と婦人に語りかけたことから始まった二人の会話は、次第に目に見える世界から見えない世界へと話題を移し、気がつけば「水を飲ませてください」と言ったのが誰であるかという、礼拝の奥義と物語の結論へと導かれて行きます。「婦人よ、私を信じなさい。…まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。…あなたと話しをしているこのわたしである。」
その時、愛による変容の奇跡が起こり、彼女の心にあった荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れ始めたのです。この後、彼女は水がめをそこに置いたまま町に帰って行きました。毎日、水を汲みに来ても、すぐに空っぽになってしまう水がめは、彼女の満たされない心の象徴です。彼女はそれを、生ける水の源であるキリストのもとに置いたまま、自分の身に起こったことを伝えるために町に帰って行きました。
物語はサマリアの町の人々がこぞってイエスのもとにやって来るリバイバルへと続きます。これは福音が「ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで」広げられていくという観点から言えば、世界宣教の初めの一歩でした。ことの発端は、ヤコブの井戸のほとりにおけるイエスと一人の婦人との出会いです。今年、このようなことが、私たちの教会に、私たちの家庭に、私たちの住んでいる町に起こりますように。

次の日曜日は2月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

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2月のオープン礼拝



2020年も明日から2月。早いですね。
次の日曜日は2月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。
テーマは「泣かないでいいよ」。
イエス・キリストが復活の物語から学びます。

毎月第1日曜日は、教会は初めてと言われる方にも入りやすいオープン礼拝です。
ぜひお出かけください。弥富公園東、丘の上の教会です。
入場無料、駐車場あり、お子さま同伴も歓迎します。
日曜の朝10時30分から。

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栄光の回復

今週も祈祷会を大切に。
御言葉をシェアします。イザヤ書35章、マルコによる福音書10章から。

35:1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。・・・

35:3 弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
35:4 心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

35:5 そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
35:6 そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。

10:27 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。
神は何でもできるからだ。」

今週も京都の新年聖会で語られたメッセージを学びました。

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喜び踊れ!



イザヤ書35章、この預言はバビロン捕囚からの帰還を前提に語られています。それはイザヤの生きた時代から、200年も300年も後のことでしたが、バビロンに捕囚となり、意気消沈し、失望落胆している民に向かって彼は語りかけたのです。
「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。『雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる』」と。この慰めと励ましにあふれた預言は、荒れ果てた不毛の地に語りかけられていきます。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせ」と。
イエスが語られた「笛吹けど踊らず」という言葉は有名です。子どもたちが、結婚式ごっこやお葬式ごっこをしています。最初は楽しく遊んでいても、少し時間が過ぎると、もう宴会の笛吹き役の子どもが一生懸命に笛を吹いても、だれも踊ってくれません。お葬式の弔いの歌をうたっても、だれも泣くまねをしてくれません。メシアが来て、どんなに奇跡を行い、福音を語っても、だれも信じません。笛吹けど踊らずです。
しかし、イザヤの預言の中に、現状に左右されることのない踊るクリスチャンの姿を見ます。ほんとうは捕囚の地で、荒れ野のような、荒れ地のような状況の真ん中に置かれ、少しも笑えない、踊れないはずなのに、神の約束を信じ、喜び踊る信仰者の姿。それは祈らざるを得ない状況の中で、一心に祈る信仰者の姿ではないでしょうか。
本当は笑えない、踊れないこの事態に、どうして踊ることができるのでしょう。
それは、主が踊っておられるからです。そして、御言葉が「踊れ!」と言っているからです。

昨日は舞鶴の教会でメッセージを語らせていただきました。皆さんのお祈りのお陰で、恵まれた2回の集会を持つことができ感謝でした。懐かしい方々との再会も嬉しいことでした。
今週も大切なことを大切に。

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喜びの花が咲いた

礼拝メッセージ 「喜びの花が咲いた」長谷川神学生
聖書 イザヤ書35章1-7節

35:1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
野ばらの花を一面に咲かせよ。
35:2 花を咲かせ
大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられ
カルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。

35:3 弱った手に力を込め
よろめく膝を強くせよ。
35:4 心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

35:5 そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
35:6 そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで
荒れ地に川が流れる。

実習生のラストメッセージでした。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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