わたしにすがりつくのはよしなさい



マグダラのマリアが「ラボニ(先生)!」と言いながら、イエスにすがりつこうとしましたが、イエスは言いました。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」と。
この後、他の婦人たちに現れた時にも、トマスの前に現れた時にも、イエスはご自分の体に触れることを許しておられます。どうして、マリアには許されなかったのでしょうか。様々な解釈がなされるところですが、御言葉を見る限り理由は2つです。まず、「まだ父のもとへ上っていないのだから」ということでした。つまり、復活されたとは言え、この地上にあるイエスの体に、目に見えるものにすがり続けようとする態度への戒めです。彼女の場合、イエスを愛するあまり、目に見えるものへの強いこだわりや執着があったのかも知れません。しかし、大切なのはイエスの御名です。御名こそ神のありのままの姿だからです。エマオ途上の弟子たちのように、あなたの心の目が開かれ、御名が実体であることがわかった時に、あなたはありのままの主を、ありのままに体験し、手触っているのです。だからヨハネは言いました。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの・・・すなわち、命の言について・・・あなたがたに証しし、伝えるのです」と。
イエスが「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われた、もう1つの理由は、彼女に与えられた特権と使命のためです。イエスは言われました。「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」イエスはここで弟子たちのことを兄弟と呼び、私の父はあなたの父、私の神はあなたの神という新しい関係が、十字架と復活を通してすでに始まっていることを彼女に伝えてほしかったのです。
イエスのこの意味深長な言葉を2つの動詞で要約することができます。「Go and Tell(行って伝えなさい)」です。そこで、「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『私は主を見ました』と告げ、また、主が言われたことを伝えた。」彼女を、別名「使徒たちへの使徒」と呼ぶのはこのためです。さあ、私たちも行って伝えましょう。私たちの主イエス・キリストは今も生きておられます。

Happy Valentine’s day!

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