王の埋葬



かつて夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモもイエスの埋葬に加わりました。ある聖書注解者は「ヨセフの良き模範が、ニコデモの忠誠心を焚きつけたのであろう」と解説しています。彼は、没薬と沈香を混ぜたものを百リトラ(およそ33キロ)持って来ました。没薬は、イエスの誕生の折に、東方の賢者が献げたものの一つですが、死者に塗る防腐剤であり、沈香は香料の一種です。彼らは十字架のもとでイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包みました。
「ユダヤ人の埋葬の習慣に従い」と普通に記されていますが、イエスは冒瀆罪、反逆者との汚名を着せられ、罪人の一人として十字架刑に処せられました。通常では、死刑囚の遺体は粗末に扱われ、谷間に投げ捨てられて野獣の餌食になることもありました。罪人として処罰された者は、死んだ後も辱めを受け続けなければならなかったのです。ところが、アリマタヤのヨセフとニコデモの登場により、イエスはユダヤ人の埋葬の習慣に従い、しかも信じられないほど豪華な埋葬が粛々と執り行われたのです。
百リトラは33キロほどですが、ベタニヤのマリアがイエスの足に注いだ香油が、300デナリオンでした。1デナリオンが労働者の1日の賃金というのですから、ほぼ年収に相当しますが、ニコデモが持参した没薬の額は、その数百倍にもなると言われています。これほどおびただしい没薬、沈香、香料、亜麻布を用いて埋葬されたイエスとは、一体どなたなのでしょう。イエスこそ、まさにユダヤ人の王、いいえ、王の中の王(King of Kings)であったというのが、ヨハネがここで私たちに伝えたかったメッセージなのです。ヨハネによる福音書が伝えるイエスのご受難の物語を統べくくるに当たって、私たちはイエスをどのように礼拝するべきでしょうか。
パウロの言葉を借りましょう。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が(あなたの舌が)、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」アーメン。

次の日曜日から12月、教会のカレンダーでも待降節に入ります。クリスマスを待ち望むシーズンです。
今年のクリスマスは教会で。

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帰るべき家、ベツレヘム。

12月のオープン礼拝

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