水を飲ませてください



もう1人の女性がいます。名前はわかりませんが、人は彼女を「サマリアの女」と呼びます。ヨハネによる福音書の4章を開くと、いつもそこに彼女がいます。シカルという町の井戸のほとりで彼女を待っていたのはイエス・キリストでした。彼女はどのような女性だったのでしょうか。作家の三浦綾子さんが、『生きること思うこと』の中に、こんなことを書いています。

聖書の中に出て来る女性の中で、だれが好きかと尋ねられることがしばしばある。私はためらわず、サマリアの女と答える。すると、たいていの人は、「へえー、あのサマリアの女ですか」と、げせない顔をする。それも道理、このサマリアの女とは、海千山千のしたたか者らしいのである。聖書によれば、この女性は昼の12時頃、水くみに井戸に行ったと書いてある。その時間は、当時決して水をくむ時間ではなかった。彼女は人の来ない時間に、こっそり水をくまなければならない、肩身のせまい思いをして暮らしていた女性である。
イエスはこの女と井戸端で会われた。そして、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」とおっしゃった。彼女は、「私には夫はありません」と答えた。するとイエスは、「あなたに夫がないというのは、もっとものことである。あなたには、もと5人の夫があったが、いまのはあなたの夫ではない」と、ズバリ図星を指されたのである。…
5人も夫がいたというのは、不運というより、ふしだらであったという印象を私たちに抱かせる。…彼女の評判ははなはだしく悪かったであろうことは想像に難くない。…こんな評判の悪い女が好きだというのだから、人が驚くのは無理もない。私も、かなり評判の悪い時代があった。…そんなことで、評判の悪かったこのサマリアの女に、ひどく親近感を覚えるのである。

みなさんは、いかがでしょうか。この女性にはいろいろと問題があったのは事実です。いろいろ想像できますが、ひとつだけ確かなことは、彼女は満たされない心を持っていたということです。彼女が水をくみに来たヤコブの井戸は相当深い井戸だったようですが、その井戸と同じように、彼女の悩み、問題、悲しみ、後悔と涙、そして罪も実に深いものでした。
私はこの人に会ったことがあります。どこで会ったと思いますか。彼女は鏡の中にいました。普通、鏡の前に行くときは灯りを付けるものですが、鏡に映る自分を見るのがためらわれて、灯りも付けずに鏡の前に立たれたことがあるでしょうか。何かむなしくて、何か満たされないものがあって、周りに誰もいないことを確認しなければ、灯りを付けることができない自分。サマリアの女はそこにいたのです。ですから、イエスとサマリアの女の物語は、私の物語なのです。
物語は最後、満たされない心を抱いて井戸にやって来た彼女が、水がめをそこに置いて、町の中に飛び込んで行きます。そして、彼女をとおして、サマリアの町が変えられていくのですが、二人の会話の始まりはこうです。「サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、『水を飲ませてください』と言われた。」そう、「水を飲ませてください」から始まったのです。別の言い方をすれば、「I Thirst(わたしは渇く)」です。
この言葉が彼女を変え、サマリアの町さえも変えていきました。イエスは、あなたが渇きを癒そうとやって来る井戸のほとりで、今日もあなたを待っています。あなたにも聞こえるでしょうか。イエスの声が。「I Thirst(わたしは渇く)」。
しかし、イエスは自ら「渇く」と言いながら、私たちを尽きることのない命の泉に招いてくださるのです。「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

台風接近中。みなさま、お気をつけください。

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