神の小羊



「エッケ・ホモ(この人を見よ)」。この人とはだれでしょう。ヨハネはその答えを、すでに福音書の冒頭に記していました。それは洗礼者ヨハネがイエスを指さして語ったあの言葉です。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」ピラトの法廷に立ち、「この人を見よ」と言われているこの方こそ、世の罪を取り除く神の小羊だったのです。
「世の罪を取り除く神の小羊」とはどのようなメッセージだったでしょうか。「世の罪を除く神の小羊」とは、人の身代わりとして祭壇に捧げられるいけにえのことですが、聖書を読めば、旧約時代、他の動物もいけにえとして使われていたことがわかりますが、小羊に限定された犠牲が2つありました。ヨハネはそのことを承知の上で、イエスのことを「神の小羊」と証ししたのです。
1つ目は、出エジプト記12章に記されている「過越の小羊」です。エジプトを脱出する前夜、イスラエルの家では、傷のない小羊が屠られ、小羊の血がそれぞれの家の鴨居と柱に塗られました。エジプト中の初子を撃つために送られた主の使いが、その血を目印にその家を過ぎ越すためでした。小羊は、イスラエルがエジプトの奴隷の生活から解放されるための身代わりとなったのです。
そして、もう1つはイザヤ53章です。受難のメシアの姿が鮮やかに示された預言の中で、苦難の僕が屠り場に引かれて行く小羊の姿に例えられています。「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしたちの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。」
使徒言行録の8章に伝道者フィリポがエチオピアの高官を信仰に導く物語が記されていますが、フィリポはこの箇所(イザヤ書53章)から説き起こして、イエスについて福音を告げ知らせました。エチオピアの高官は言いました。「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と。
「この人を見よ。」「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」

中学高校は1学期が終わり、夏休みに突入です。

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神の身分でありながら

汝は、故郷は何処か

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