バラバとは誰か



イエスを取り調べたピラトは、イエスが無実であり、その訴えも政治的な案件ではないことから、民衆に一つの提案をします。当時、過越祭の期間に、民衆が願い出る囚人に恩赦を与えるという習慣がありました。ピラトはそれを利用してイエスを釈放しようと考えたのです。しかし、ピラトの思惑に反し、宗教指導者たちに扇動された群衆が、イエスではなくバラバを選び、イエスを十字架に付けるように要求したのです。鎖が解かれ、釈放されるバラバと、十字架につけるために引き渡されるイエス…。この場面ほど、イエスの身代わりの死を象徴する場面はないのかもしれません。
みなさんは、こんなことを考えたことがないでしょうか。どうして、自分の罪が赦され、救われると言うことがあるだろうかと。私とイエスとは何の関係もない。それはバラバも同じでした。ところで、バラバとはいかなる人物だったのでしょうか。ルカは「都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバ」と彼の罪状を記録し、マルコは「暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた」と伝えます。彼は革命家であり、政治犯であり、現代的な言い方をすればテロリストであり、殺人犯であったと言うことです。そして、ヨハネは「バラバは盗賊であった」と言い、マタイは「バラバ・イエスという評判の囚人がいた」と伝えています。ここからは、彼のねずみ小僧やロビンフットのような正義の味方的な横顔が見えないわけではありませんが、「評判の」という言葉は、模範囚や人気者という意味ではなく、悪名高い札付きの囚人と読む方が自然な感じがします。いずれにせよ、バラバのイメージが聖書を読む私たちに委ねられているのです。
バラバとは、彼のあだ名で、「バル、アバ(父の子)」という意味です。彼の本当の名前はイエスでした。今、ピラトの左右に立っているのは二人のイエスです。一人はバラバと呼ばれるイエスであり、一人はメシアと呼ばれるイエスでした。「父の子」とは、おかしな名ですが、それなら私たちも父の子(バラバ)です。
聖書は言います。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。それで今や、私たちはキリストの血によって義とされた(神の子とされた)のですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」と。

今週も大切なことを大切に。

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バラバと私の物語

生きるとはキリスト

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