わたしの国



イエスとピラトの対話です。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」ここでイエスが三度もくり返し語られた「わたしの国」という言葉について考えてみましょう。イエスが、この世には属さないと言われた「わたしの国」こそ、神と人が、そして神を中心に、人と人が美しい調和を実現した神の国です。ここで使われている「国(バシレイア)」という言葉を、ヨハネは第3章でも使っています。あのニコデモとの対話です。
ユダヤ人の指導者の一人であるニコデモが夜、密かにイエスのもとを尋ねます。彼は最高の敬意を払って、「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしは、だれも行うことができません」と挨拶しましたが、イエスは単刀直入、彼の問題の核心を突き、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と語られました。
この新たに生まれなければ入ることのできない神の国を実現するために、イエスは十字架に上げられなければならなかったのです。イエスが宣教の始めに語られた言葉を覚えているでしょうか。救い主としての働きを開始されたイエスは、開口一番、こう宣言されました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
「主の祈り」もそうです。「父よ、御名があがめられますように」と祈った後、最初の祈りは、「御国が来ますように」です。「御国に入れますように」ではありません。御国が来ますように、どこに。ここに。「ここも神の御国なれば」です。イエスは言われました。「神の国は、見られるかたちで来るものではない。『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と。

今週も大切なことを大切に。

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ここも神の御国なれば

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