花の使命は



令和になって二度目の礼拝は、母の日の礼拝です。母の日は教会で生まれた美しい習慣です。聖書は神のことを「父なる神」、イエス・キリスを「子なる神」と呼びます。「では母は?」と言うと、聖書に明言されているわけではありませんが、聖霊なる神の優しさは母のようだと言えるかも知れません。また教会こそは、キリストの花嫁と呼ばれるゆえに、母のような役割を果たすのではないかと思います。聖アウガスチヌスも「教会を母としないクリスチャンは、神を父と呼ぶことはできない」と言いました。母の日に、母と呼ばれるすべての存在に、母と呼ぶことのできる存在を与えてくださった神に感謝したいと思います。「母の日」おめでとうございます。
先週は、外務省が「令和」という元号の意味を、「Beautiful Harmony(美しい調和)」と伝えているという話をしましたが、出典は、日本最古の歌集である『万葉集』、梅花の宴で詠まれた歌の序文から二文字をとって、「令和」と付けられたということです。
クリスチャンは西暦を重んじるべきかと思いますし、元号が必要かどうかという議論があることも承知のうえで、私は「令和」という言葉の意味を噛みしめています。万葉の時代、花見と言えば、桜ではく、梅や桃を楽しんだ訳ですが、「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」と心から願うものです。
カトリックのシスター渡辺和子先生が『どんな時でも人は笑顔になれる』という本の中に「『一輪の花』として生きる」という素敵な文章がを書いていました。
「人間は一人ひとり花です。小さな花もあれば大きな花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどり店頭に飾られ、買われてゆくのもあれば、ひっそりと路傍で『花の一生』を終えるのも多いでしょう。花の使命は咲くことにあります。他の花と比べて優劣を競うことにもなければ、どこに置かれるかにもなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。」

今週も大切なことを大切に。

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「一輪の花」として生きる

神がハガルの目を開かれたので

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