愛が冷めると



ゲッセマネでの逮捕の後、イエスはアンナスのもとに連行されました。大祭司の官邸の一室と考えるのが自然のように思います。ヨハネはアンナスによる予備審問と並行して、よく知られたペトロの否認を2箇所に分けて記録しました。前半は、第1の否認だけが記されています。ペトロともう一人の弟子とは、師を捨てて逃げ出した自分たちの行為を恥じ、引き返して、イエスに従いました。このもう一人の弟子とは、伝統的にヨハネ自身と考えられています。彼は大祭司の知り合いだったので、屋敷の中庭に入って行くことができたということが記されていますが、詳しいことはわかりません。彼が、門の外に立っていたペトロを、屋敷の中に招き入れましたが、その親切が仇となり、事件が起こります。薄明かりに、ペトロの顔を見た門番の女中が「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と声をかけてきたのです。ペトロは咄嗟に、「違う」と答えて顔を背けます。春に巡ってくる過越祭、まだまだ夜が更ける時間は花冷えがしていたようで、僕や下役たちが炭火をおこし、火に当たっていました。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたりました。それは、いかにも自分はこちら側の人間であると言わんばかりの行動でした。
ルカのカメラに切り替えます。ルカは、その辺りの様子をこう描きました。「ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」ヨハネは立っていたと書き、マタイやルカは座っていたと書いています。詩編の1編1節にこう記されています。「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」
『十字架の黙想』にこう記されています。「信仰が冷めると心に満足が無く、主から遠ざかると、必ず世俗の中に代わりのものを求めるようになる。愛が冷めると、体まで寒さを感じ、彼は座り込んで火にあたたまっている。主を離れてどこに満足があるだろうか。主のために苦しむことなしに、どこに真の喜びがあるだろうか。わたしたちの霊魂を暖めるものは、愛に燃える主以外にはない。キリストだけで充分である」と。
わが主イエスよ、ひたすら祈り求む愛をば、増させたまえ、主を愛する愛をば!愛をば!

3.11から8年、大切なことは、忘れないこと。
今週も大切なことを大切に。

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英雄か臆病者か

キリストに倣う

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