ゴール



イエスの裁判が始まります。この日、深夜から早朝にかけて、ユダヤ人による宗教裁判と、ローマ法に基づく政治裁判が、公式、非公式を含め、少なくても6回行われます。まず、ヨハネだけが記す、大祭司カイアファの舅アンナスによる審問、その後、カイアファとユダヤの最高法院(サンヘドリン)での深夜の裁判(この裁判は非合法なものでした)、それから少し時間をおいて、夜明けを待って再び開かれた最高法院での結審(これは深夜に行われた審議を正当化するための形式的な集まりにすぎませんでした。)しかし、イエスを死刑にするためには、ローマの許可が必要でした。そこでユダヤ人の指導者たちは、イエスをローマ総督ピラトの前に引き出します。ところが、ピラトはイエスに罪を見出せなかったので、祭りのためにエルサレムに来ていたガリラヤの領主ヘロデ王のもとにイエスを送ります。しかし、ヘロデはろくに審議することもせず、イエスに派手な衣を着せ、再びピラトのもとに送り返します。そして、そこでイエスの死刑が確定するのです。一夜のうちに、短時間でなされたこの審判は、どこまでも非合法なものでした。にも関わらず、一気呵成に死罪との判決が下されるに至りました。それは終始一貫して絶望的な裁判でした。
ところで、イエスはその夜、何を見ていたのでしょうか。理由のない憎しみの只中で、弟子たちがつまずき逃げ出していく現実の中で、不当な裁きを受けながら、イエスは微動だにせず、ただゴールを見ていたのです。私たちもイエスが見ていたゴールをめざして、自分を捨て、自分の十字架を背負って、イエスに従おうではありませんか。
私たちのゴールは新しいエルサレムでまちがいありませんが、同時に私たちのゴールはイエス・キリストでもあります。ヘブライ人への手紙12章にこう記されています。新改訳聖書で。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者(author)であり、完成者(perfecter)であるイエスから目を離さないでいなさい(英語ではfix、あなた方の目をこの方に固定しなさい)。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」私たちも、弱り果てて意気そそうしないために、信仰の導き手であり、またその完成者、ゴールであるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではありませんか。

今日から3月。今月も大切なことを大切に。

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3月のオープン礼拝

氷点と十字架

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