対話



平成最後の年の最後の聖会を終えました。静かな礼拝堂には、昨日の余韻が残っています。
2回の集会とも福音書が開かれ、テキストの簡単な解説の後、御言葉がそのまま語られる聖会でした。
私は、私に語りかけられるイエス・キリストの言葉を聞いていました。
それはイエスとの対話でした。

ある新聞のコラムで、劇作家の平田オリザさんの言葉が紹介されていたのを思い出しました。
「ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。
ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。」(平田オリザ)    
ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いについて訊ねたとき、劇作家から即座に返ってきた答え。
対話は、共通の足場をもたない者のあいだで試みられる。
呼びかけと応えの愉しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、
埋まらない溝を思い知らされたあとの沈黙の交換でもある。
討論よりおそらくはるかに難しい。

イエスは私たちと討論し、私たちを言い負かそうしているのではありません。
私たちと対話されるのです。この対話の前と後で、もし私たちが変わっていなければ、何の意味もありません。

わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。
この水を飲むものはだれでもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。

わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。
その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。

イエスは言われた。「それはあなたと話をしているこのわたしである。」


今週も大切なことを大切に。

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このわたしがそれである

御名があがめられていることを

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