独り善がり



パウロがくり返し教会の一致を叫ぶのは、教会に真実の一致がなかったからです。様々な理由があったと思いますが、その一つは独り善がりの信仰、礼拝でした。『ナルニア国ものがたり』の作者C.S.ルイスが、初めて礼拝に参加した時の体験を次のように語っています。「私は、彼らの歌っている賛美歌があまり好きになれませんでした。それは、ぱっとしない歌詞に、冴えない曲をつけたもののように思えました。けれども、時間が経つにつれて、私はその賛美歌の素晴らしい一面に気づき始めたのです。次第に、私のうぬぼれが砕かれていきました。ふと目をやると、向こう側の席にゴム長靴を履いた老人の姿が見えました。彼は、その賛美歌を心を込めて歌っていました。その姿を見たとき、私は自分が彼の長靴の汚れを拭き取る資格さえない者であることに、はっきりと気づかされたのです。共に礼拝を捧げるとき、私たちは独り善がりのプライドから救い出されるのです。」
主の言葉が心に迫ります。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」ゼファニア書3章3節にはこう書かれています。「その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。」ここで使われている「一つとなって」という言葉は、ヘブライ語では「肩と肩をくっつけて」「肩を並べて」という意味があると教えていただいたことがあります。私たちも、独り善がりを捨てて、主の名を唱え、肩と肩をくっつけるように一つとなって主に仕え、主を礼拝しましょう。

11月になりました。いつもは第1日曜日は、新しい方のためのオープン礼拝ですが、今月は、秋の信徒聖会になっています。11月のオープン礼拝は第2日曜日です。ぜひお出かけください。

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生きるにも死ぬにも

このわたしがそれである

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