井戸を隠しているからだよ。



渡辺和子先生の文章を紹介します。
サンテグジュペリの『星の王子さま』の中で、王子が砂漠に水を求めに行くところがあります。あてどもなく歩いてゆくと、月の光を受けて砂漠は美しい。王子が言います。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。」人間もそうです。表面に現れない「井戸」を心の奥深くに持っている時、人は美しくなります。・・・
一人ひとりが自分の存在の奥深いところに一つの「聖所」とでも呼ぶべきものを持ち、年とともにたいせつに育ててゆくということなのです。そこは他の誰にも、親にも、配偶者にも、親友にも、恋人にも踏み込ませない自分の心の部分であるとともに、どんなに愛し、信頼した人から裏切られた時にも、逃れて自分を取り戻し、自分を立て直すことのできる場所です。騒がしい人混みの中でも孤独になれる場所であり、一人でいても淋しくない所以です。体のどの部分にあるかと尋ねられて指し示すことはできないけれども、一人で生まれ、一人で死んで行かなければならない人間が、その一生の間、自分らしく生きるためにどうしても必要な「場所」なのです。

素敵な文章です。ところで、砂漠はほんとうに美しいのでしょうか。砂漠の持つ美しさもあると思いますが、砂漠は本来厳しい世界です。渇ききった不毛の世界です。でも、ほんとうに大切なことは目に見えないということを教えられます。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」と。では、その井戸は、どこにあるのでしょう。イエスは言われました。「わたしが与える水を飲む者は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」今日、心を静め、息を整え、御名を呼びつつ主を尋ねれば、私の内に神はおられる、神はおられる。聖なる御名が泉のように、心にあふれ流れ出るまで、心の井戸を掘り下げましょう。掘り下げましょう。ここに泉は湧く。
さあ、神の約束です。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。」

明日は志摩市阿児町にある聖イエス会テベリヤ教会の献堂30周年記念集会が持たれます。
祝福を祈りつつ。

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