世にあって



「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」
有名な山上の説教の中でイエスは、「あなたがたは地の塩である。・・・ あなたがたは世の光である」と語られました。塩とは、溶け込むもの、見えなくなることで内側から味を変えていくものであり、光とは、誰にでも見えるものであり、外側に向かって拡散され周囲を照らすものです。イエスは私たちこそ、地の塩、世の光であると言われたのです。
パウロもこう言っています。「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、(ここです)世にあって星のように輝き、命の言をしっかりと保つでしょう。」なぜ「世にあって」なのでしょう。それはこの世でなければできない神の働きがあるからです。この地上でなければできない神の働きとは福音宣教の働きです。
キリストと共に十字架にかけられた犯罪人のことを覚えていますか。地獄行きが決まっていたようなあの男が、ただキリストの十字架を仰いだだけで、パラダイスを約束されたというあの物語です。福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。キリストの十字架を通して最初に救われたあの人はなんと幸いだったでしょう。しかし、彼のうちには一つだけ後悔があったように思います。すでに過去の過ちは赦されていました。感謝しかありません。でも、自分の口でその驚くべき神の恵みを伝えることができなかったという後悔です。天国に行ったら伝道しようと思っている人があるなら、それは愚かなことです。天国に行ってだれに伝道するというのでしょう。主を証しし、滅び行く魂が救われる喜びは、世にあるクリスチャンの特権です。そして、私たちにはまだそれができるのです。
秋期聖会でイザヤ書12章4節から、宣教の3つの基本的ステップについて教わりました。もう一度、チャレンジ!祈りと宣教です。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。」

次の日曜日は10月のオープン礼拝です。ぜひお出かけください。

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砂漠が美しいのは

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