これが私の舞台だ。



神の選びは不思議です。パウロは言います。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」と。
私たちは、この神の永遠の愛による選びがよくわかっていません。キリストが語られた「わたしがあなたがたを選んだ」という言葉を、詳訳聖書では「私があなたたちを選んだ<植えた>のである」と訳していました。Bloom where God has planted you.(神が植えられたところで咲きなさい)です。カトリックのシスター渡辺和子先生は、「咲く(実を結ぶ)ということは、仕方がないと諦めるのでなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と言っています。神の選びに感謝し、置かれた場所、植えられた場所で、豊かな実を結ばせていただければ感謝です。
東日本大震災から7年が過ぎましたが、以前福島のいわき市にある教会に行かせていただいた時に、すぐそばにある一つの教会を紹介されました。福島第一原発の最も近くに建っていた教会で、避難して来られ、新しい会堂を建てられたということでした。その教会の佐藤彰先生は、たくさんの本を書いておられるので、私も知っていました。『選ばれてここに立つ』という本は、震災から一年後に語られた先生のメッセージをまとめたものです。

いつ頃からか、教会の人に、「私たちは選ばれたんだ」と言うようになりました。なんで福島第一聖書バプテスト教会という名前なのか。なぜ後からやって来た原発が地名で呼ばれずに「福井島第一原子力発電所」なのか。(開拓者の)ホレチェック宣教師はどこに教会を作ってもいいとは考えなかったはずです。・・・この土地を「選んだ」のです。まさかその後震災に遭うとは思っていなかったとしても。それは「選ばれた」ということなのです。
韓国の牧師が電話をしてきて言いました。「なぜおにぎり一個のために何時間も日本人は並ぶことができるの?なぜ喧嘩にならないの、暴動にならないの?ありえないよ。これほどの震災に耐えうる文化を育んだのが日本人なんだね。神は日本人を選ばれたんだね。・・・」それを聞いて私も、あらためてうちの教会は選ばれたんだなと思いました。
・・・教会に赴任して30年。心血を注いで建て上げてきた教会が一夜にして失われたのです。人生は悲しいものだなと思いました。・・・教会は一巻の終わり。終結宣言をするのだと思い、本当にボロボロの敗残兵のように打ちのめされていたのです。が、うちの娘が、あの緊張の最中メールを寄こして来たんです。「お父さん、私毎日泣いています。ほんとうは飛んでいきたいけどお腹に赤ちゃんがいるから、私の分まであの人とこの人を励まして来て。お父さんが牧師になってあの教会に行ったのは、この時のためだったと私は思うよ。
・・・涙がボロボロと流れました。「親を泣かせやがって」「親に説教しやがって」・・・だけど本当だ。私の誕生日は3月11日です。「よし、二度と言うまい。口が裂けても言うまい、なんでこんな目に遭うんだとは。これが私の人生だ。これが私の舞台だ。やるだけやろう」と決めたのです。

神の選びによって、私たちはそれぞれの場所に植えられました。キング牧師が語ったように、そこで与えられた仕事を、「ミケランジェロが名画を描いたときのように、ベートーベンが名曲を作曲したときのように、シェークスピアがすばらしい詩を書いたときのように」、誇りを持って、忠実に果たそうではありませんか。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」


今日は西宮にあるアンネのバラの教会を訪問し、教会のウェブサイト制作の打ち合わせと写真撮影をさせていただきました。訪問中、満開のバラを見に来られる方が後を絶ちませんでした。

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内におられるキリスト、栄光の希望

続・選ばれてここに立つ

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