ずっと



十字架の前夜、最後の晩餐が終わった後、弟子たちに語られたイエスの最後の教えが続きます。ゲッセマネの園に向かって歩き始めたイエスと弟子たちでしたが、その夜、イエスは何度も立ち止まって弟子たちに語りかけました。月夜に、ぶどう畑が見えたのでしょうか。イエスは、ここで有名なぶどうの木と枝の譬えを話されたのです。この譬えの中で、イエスは「つながる」をくり返し使われますが、これはヨハネ福音書の鍵となる言葉のひとつです。ギリシア語の「メノー」という言葉は、ヨハネが好んで用いた、彼のこだわりを感じる言葉です。ヨハネ福音書に38回、短いヨハネの手紙にも23回、彼はこの言葉を使っています。ある時は、「泊まる」と訳され、ある時は「つながる」と訳され、ある時は「とどまる」と訳され、父なる神と御子イエスとの密接な関係を、さらに私たちとキリストとの親しい交わりを表す特別な言葉が「メノー」です。
ヨハネとペトロの兄弟アンデレがイエスの弟子となった日のことを覚えていますか。二人は言いました。「ラビ、どこに泊まられる(メノー)のですか。」イエスは「来なさい。そうすればわかる」と答えました。「そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられる(メノー)かを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった(メノー)。午後四時ごろのことであった」と、年老いてこの福音書を記すヨハネは、その日その時のことを証ししています。リビングバイブルの訳も素敵です。「その日は、それからずっと、イエスといっしょにいました。」その日から、ずっと、イエスといっしょにいることが彼のライフワークとなりました。「ずっと」です。「とどまる」という言葉は、「点」で表わす言葉ではなく、「線」で表わすべき言葉です。それは「継続すること」を意味します。一時的な交わりではなく、継続する交わりです。それから「ずっとイエスといっしょにいました」という交わりです。それは、私たちの願いでもありますが、イエスが望まれた交わりでもありました。イエスは、この最後の教えの後、こう祈られるのです。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」と。

今日は地域の先生方との集まりが持たれました。新年度、「説教者」とのお勧めをいただき、幸いなひと時でした。
今週も大切なことを大切に。

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