みことばにとどまる



キリストにとどまるということについて、ヨハネは二つの面からアプローチしています。第1に、みことばにとどまるということ、第2に、愛にとどまるということです。
ヨハネは言います。15章7節、「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」後半の結果の部分に目が奪われがちですが、前半の条件の方が重要です。御言葉にとどまるということについては、8章でも学びました。8章31節、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。」
4月を迎え、進級、進学、就職、異動、私たちを取り巻く環境に少なからず変化が生じるシーズで、慣れない、落ち着かない生活をされている人も多いと思いますが、いつも大切なことを大切に、毎日聖書の前に座り、聖書を開き、聖書を味読し、御言葉につながること、デボーションを大切にしてほしいと思っています。デボーションガイド、今月の前半はレビ記を読んでいます。ちょっと難解な箇所ですが、これを使えば、その日の聖書箇所に何が書かれているのかが簡単にまとめられていて、御言葉の実践と祈りに導かれます。ぜひこれを活用して、主の言葉につながってください。それがキリストにとどまると言うことです。
御言葉にとどまるということについて、もう少し深めます。聖書全体が神の言葉ですが、永遠の命をもたらすいのちの言葉とは、神の御名のことです。詳訳聖書が教えるように、「キリストの命に生きる、キリストとの生命的結合の中にとどまるとは、キリストのことばが私たちのうちにとどまる、私たちの心の中に生き続ける」ということです。春の京都聖会でも改めて教えていただいた御名の連祷、正しい御名の呼び方をくり返し実践しましょう。御名が心の中に生き続けるように。

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師のようになれる

私とともに父の愛のうちに

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