立て、さあ行こう

洗礼式

ヨハネによる福音書14章の最後のところに、他の福音書であれば、ゲッセマネの園の物語で使われる言葉遣いが立て続けに出てきます。「父がお命じになったとおりに行っている(その御旨のままに、完全に一致して行動している)」と言われているのは、「わたしの思いのままではなく、御心のままになさってください」と祈られたゲッセマネの祈りを思い起こさせます。「さあ、立て。ここから出かけよう」という言葉は、イエスが眠っている弟子たちを起こして、「立て、さあ行こう」と言われたのと同じです。また「世の支配者が来る」という不気味な言葉は、イエスが逮捕される時に、「今はあなたがたの時、また、やみの支配者の時である」と言われた言葉に通じます。つまり、場面こそ違いますが、ヨハネはここであのゲッセマネの園のような場面を描こうとしているのです。
しかし、ヨハネ福音書におけるゲッセマネの園の物語は18章に記されているので、この箇所から、そのまま18章に入るとスムースなのですが、まだ15章、16章、17章とイエスの長い告別説教と最後の祈りが続きます。もしヨハネが伝えた通りだとすれば、15章と16章は、イエスと弟子たちが、最後の晩餐が行われたマルコの家を出て、ゲッセマネの園に向かう道すがら、何度も立ち止まりながら話されたことになります。
この辺りは、聖書学者たちの間でも意見が分かれるところなのですが、今回のシリーズはそのような流れでメッセージを続けたいと思っています。ちなみに、『日本人に贈る聖書物語』にもこのように書かれていました。「二階の大広間があった家からゲッセマネの園まで、男の足で十数分の距離である。しかしこの夜は、そこに着くのに一時間以上もかかった。イエスが、途中何度も城壁のそばに立ち止まり、弟子たちに告別のメッセージを語ったからである」と。
私たちもこの場面から、イエスと共にゲッセマネの園に向かいます。神の御旨が完全に実現されていくゲッセマネの園へ。「立て、さあ行こう。」あなたのあとについて行かせてください。

今日は京都聖会前ですが、地区の先生方の集まりが持たれます。
今週も大切なことを大切に。

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その御旨のままに

「風鈴」より続き

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