別は別でも



16節の短い1節の中にも三位一体を見ることができます。イエスは言われました。「わたしは父にお願いしよう。」ここで使われている「願う」という言葉は、祈るという言葉ですが、普通、祈ると言うとき、それは下位の者が上位の者に対して願う行為なので、ギリシア語では「アイテオウ」という動詞が使われます。しかし、ここでは「エロウタオウ」という動詞が使われます。これは同じ位にいる者が願うという意味です。日本語の聖書ではわかりませんが、父なる神と子なる神、イエス・キリストは同じ位にいるということが、イエスの言葉遣いから明らかにされています。
すると父なる神はイエスの願いに答えてくださいます。イエスの掟を守ることができるようになるために、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」のです。「別の弁護者」、つまり聖霊なる神のことです。ギリシア語では「アロス・パラクレートス」と言います。この言葉はバラエティに富んだ言葉で、詳訳聖書では7つの訳で紹介されています。「父は・・・もうひとりの慰め主〈助言者、助け主、とりなす者、弁護者、激励者、援助者〉を与えられる」と。イエスの掟を守り、それを実行するために、このような助け手が私たちのもとに、私たちの内側に遣わされるという約束が与えられているとは、なんと有り難いことでしょうか。もう少しだけ言葉の説明をします。アロス・パラクレートスの「アロス」とは「別の」「もうひとりの」という意味ですが、別は別でも同質のもの、つまりイエスと寸分違わないお方という意味を持っています。子なる神と聖霊なる神は全く同じ。なぜなら、このお方はイエスと同じように、私たちを助け、慰め、励ましてくださるからです。いかがでしょうか。ここには「三位一体」とは書かれていませんが、明らかに三位一体の神が描かれているではありませんか。そこでもう一度お尋ねします。「神は唯一ですか?」アーメン。ここがスタートです。「父なる神は神ですか?」アーメン。「イエス・キリストは神ですか?」アーメン。「聖霊は神ですか?」アーメン。

今日から平昌で冬季オリンピックです。

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一月九日

愛の維新

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