純化された信仰



天に立ち上る煙を眺めながら、イサクがアブラハムに、
「アバ、本当にアバの言う通りでした。主がいけにえを備えてくださいました」
と語りかけた。
アブラハムは高らかに笑いながら、
「そうよ。この山はこれから、『ヤハウェ・エレ』と呼ばれる。主の山には必ず備えがあるという意味だ。
そのことを子孫たちに、そして全世界に伝えるのだ」
と叫んだ。
すでに日が暮れかかっていた。
全焼のいけにえがすべて灰になった時、再び主の使いの声があった。
思い返せば、カナンの地に入ってから60年である。アブラハムを精錬する行程はすべて終わった。
・・・・・・
---「日本人に贈る聖書ものがたり」

「アブラハムを精錬する工程はすべて終わった。」
マラキ書3章3節にはこう記されています。「(キリストは)銀を精錬する人のように、腰をすえて、不純物が燃え尽きてしまうまで、じっと見守っている。 きよい心で仕えることができるように、神に仕えるレビの子孫をきよめ、精錬された金や銀のように純粋にする。」LB訳
「腰をすえて」、座してとは、神の熱心と忍耐を表しています。金や銀を吹き分ける精錬作業は、たいへん根気のいる作業ですが、主はあきらめないで、熱心に清めの業をなし続けてくださるのです。もっと清い信仰に、純化された信仰に、純金になるように。ある人が、銀細工師にこう尋ねました。「純銀が出来上がったかどうかをどうやって知るのですか。」彼は答えました。「そこに私が映った時です。」主は言われます。「われ聖なれば、なんじらも聖なるべし」と。
今週も大切なことを大切に。

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主の山に備えあり

アブラハムに見るわたしたちの栄光の希望

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