山本忠一君のこと



日曜日に名古屋の礼拝で紹介された山本忠一君の話し。

戦前のお話しです。和歌山県の南部と言うところに、労祷学園という学校がありました。
その責任者は升崎外彦牧師でした。しかし、世の人々はこれを「アホ学校、アホ学校」と呼んでいました。
この学校に知的障害者が一人加わったのを知った近所の人が、学校の門のところに「アホ学校」と落書きしたからでした。
この少年の本名は「山本忠一」と言って、幼い頃、脳膜炎にかかってしまった孤児でした。面倒をみていた親戚の人から愛想をつかされ、家から追い出されてホームレスになってしまいました。
そんな忠一君を升崎先生が自宅に連れてきて、世話をすることにしたのです。毎朝おねしょをしてしまう忠一くんを、升崎先生は彼を愛し、「忠ヤン」と呼んでいました。しかし、忠ヤンが学校に入ったことによって、学校が「アホ学校」と名づけられてしまい、他の学校の生徒は、升崎先生に「忠ヤンが学校に来ないようにしてください。でなければ自分たちは出て行きます」と詰め寄りました。これにはさすがの升崎先生もどうしたらいいものか、と悩みました。しかし、その時「健康な人に医者はいらないが、病人には医者がいります。」「ある人に100匹の羊がいて、そのうち1匹が迷いでてしまったとしたら、99匹を残しておいて、迷っている羊を探しに出かけないでしょうか」と言うイエス様のみことばが心に響いてきたのです。そして将来ある学生よりもひとりの知的障害者を選んだのです。
ところが、ある日のこと、忠ヤンは外出したまま、夜になっても帰ってきません。そこらじゅうを探し回っても、その消息はわかりませんでした。それから数年後、1939年のある日、ある一人の紳士が突然、升崎先生を訪ねてきました。
「あなたは何年か前に山本忠一と言う子供をお世話された升崎先生ではないでしょうか?」升崎先生は目を大きく見開いてうなずきました。その紳士は話し始めました。
「実はある日のこと、我々の船は荷物を満載して、紀州尾鷲湾を出ました。出帆後、間もなく海がしけ始め、船をコントロールできなくなり、ついに水面下の岩に船底をぶつけてしまいました。破れた船底からはおびただしい水が流れ込んできて、いくら水をかい出しても間に合いません。『もうこれまでだ』と皆が観念したとき、船底から『親方、親方。船を、船を』と手を振りながら大声で叫んでいる者がいるのです。見ればそれが『アホ忠です』。忠ヤンは船底の穴に自分の太ももをぐっと突っ込み、穴をふさいでいました。忠ヤンは必死にもがきながら、『船を、早く船を陸へあげてー』と声を振り絞って、叫んでいました。それで船員たちは、無我夢中で船を陸に近づけ、何とか助かったのです。ところが船底にいた忠ヤンはかわいそうに、すでに息を引き取っていたのです」。
升崎先生は労祷学園で、いつもオランダの堤防の決壊を救った、ハンス少年のことを、青年たちに教えていました。それを聞いた忠ヤンは、よく「おれはハンスだ、おれはハンスだ」と口ぐせのように言っていたのです。そして、それをその通り実行したのです。彼は人から「アホ忠、アホ忠」と呼ばれる知的障害者でしたが、先生のこのメッセージをだれよりもよく悟っていたのでした。

今日から師走。教会の暦では次の日曜日から待降節に入ります。毎週キャンドルを灯しながらクリスマスを待ち望むシーズン。ぜひお出かけください。

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