神が走ったとき




7月のぶどう樹を書かせていただきましたが、記事を読まれた方々から、「感動した」というメールをたくさんいただいています。一人でも多くの方に読んでいただきたいと願っています。今日はぶどう樹で紹介せていただいたバルセロナ五輪、レドモンド親子の感動のゴールシーンです。どうぞ、ご覧ください。

◆失速
忘れられないオリンピックの一場面があります。
一九九二年、スペインのバルセロナで開催されたオリンピックの男子四百メートル準決勝。号砲一発、快調に第一歩を踏み出したイギリス代表デレク・レドモンドを悲劇が襲います。ここまでの予選をトップで通過していた優勝候補はバックストレッチで突然失速し、背中を丸めてうずくまってしまいました。古傷の右太もも裏の肉離れでした。
かたわらを、他の走者が走り去って行きます。コースに一人残されたデレクは、やがて苦渋の表情を浮かべながら、自力で立ち上がると、左足だけではねるようにゴールをめざしました。これまでいくども大きな試練を乗り越えてつかんだ夢舞台を、彼はそう簡単にあきらめることができなかったのです。
◆最も栄光あるゴール
と、その時、観客席から一人の大柄な男がデレクに走り寄ります。彼は、どんなことがあってもレースを走り終えようとするデレクを抱きかかえ、二人でゴールをめざしました。男の名はジム・レドモンド、デレクの父親です。
「もういいんだよ」、父は泣き崩れる息子に言いました。
「僕は最後まで走りたい」とデレクは答えます。
「それなら、二人でゴールをめざそう。」
父は息子を抱きかかけるようにトラックを一緒に走りはじめました。スタジアムの大観衆が総立ちで、二人のゴールを祝福しました。その日のデレクのタイムは記録には残りませんでしたが、その光景を見た人々の心に二人の姿は深い感動と共に焼き付けられました。タイムマガジン誌は、「オリンピックの歴史の中で、最も栄光あるゴールであった」と、その日の出来事を評しています。
◆聖書の物語
ところで、聖書の中にも、ゴール目前で倒れ、足を引きずる息子に向かって走り出す父の物語があるのをご存知ですか。イエス・キリストが語られた「放蕩息子」の物語です。自分の夢を追いかけ、家を飛び出した放蕩息子が、泥まみれの姿で父の家に戻ってくる場面です。
聖書は「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」と、躍動する父の姿を生き生きと描いています。当時の父親にとって「走る」という行為は沽券にかかわる行為で、タブーとされていたにもかかわらず、父は泥まみれになった息子をめざして一目散に走ったのです。父に抱きかかえられ、ゴールであるわが家に向かう放蕩息子…。レドモンド親子の会話が聞こえてきそうです。
◆神が走ったとき
ある神学者が、この場面を「神が走ったとき(When God ran)」という言葉で解説し、夢が破れ、放蕩息子のように倒れ伏すわたしたちのために、なりふりかまわずに走り、抱きかかえてくれる父なる神の愛を教えています。この物語が「福音中の福音」と呼ばれる理由です。
さあ、わたしたちがめざす本当のゴールに向かって、いま歩き始めましょう。ほら、もう神が走り出しています。
「神は愛なり!」

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