女の子孫



神が女の子孫から生まれることについては、創世記の3章、罪の始まりの章において、すでに預言されています。
創世記3章は、人類の罪の始まりを克明に描いた聖書中最も暗い章ですが、すでに神の愛が散りばめられている福音の始まりでもあります。15節、「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」これは蛇に対する神の裁きの言葉ですが、古くから「原福音」と呼ばれている聖書中最初のメシア預言です。
「女の子孫」とは、処女マリアから生まれるキリストのことです。「子孫」という言葉は本来「種」という言葉で(文語訳聖書では「苗裔」と書いて「すえ」と読ませています)、通常男性に用いられる言葉です。「女の種」では本来は意味をなさないのですが、女のみによる子孫と言うことで、処女から生まれるメシアとの意味になります。
ここから、イザヤはあの有名な預言の言葉を語りました。「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と。使徒パウロはその預言を受けてこう言っています。ガラテヤ4章4節、「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子とするためでした。」
サタンはキリストのかかと(人間性)に噛み付き、十字架上でキリストのかかとを砕きましたが、やがてキリストは十字架の死によって死を打ち破られたのです。「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死は勝利にのみ込まれた。」
この創世記3章から始まり、聖書の至るところで語られたメシア預言のすべてを受けて、ヘブライ人への手紙にはこう書かれています。10章5節以下、「キリストは世に来られたとき、次のように言われたのです。『あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、私のために体を備えてくださいました。あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
そこで、わたしは言いました。「ご覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物に私について書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。」』」人類救済という神の願いを実現するために、キリストはこの世界に来られたのです。これがクリスマスの真実です。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」のです。

明日は志摩にあるテベリヤ教会で、クリスマス礼拝です。
次の日曜日は待降節第3週の礼拝になります。

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神を見る

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
マタイによる福音書5章から。

5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
5:8 心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。

12月12日を記念して、神を見た少女の証と聖イエス会の始まり、その根底に流れる信仰を学びました。

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クリスマスは教会へ



クリスマスは教会へ
今年のクリスマス礼拝は12月22日(日)午前11時から。
聖歌隊によるキャンドルサービスと聖誕劇による礼拝。
礼拝に続き、食事をはさんでの祝賀会。
子どもたちの劇、ユースによる合奏、そしてお楽しみの時間。
今年のクリスマスはぜひ教会でお過ごしください。

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大きな飛躍



アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸に成功したのは1969年、今から50年前のことです。「バイザー・ショット」と呼ばれる1枚の写真があります。船長のニール・アームストロングと共に月面に降り立った、エドウィン・オルドリン宇宙飛行士が月面に立つ写真ですが、彼がかぶっているヘルメットのガラス(バイザー)に映っているのがアームストロングという一枚です。確かに彼も月面に立っていたという証拠です。彼の言葉は有名です。
「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。」
確かに、50年前のあの一歩は人類にとって大きな一歩でした。しかし、聖書は、今から二千年前、神ご自身が人間の姿をとってこの地上を歩まれたことこそ、人類史上最大の一歩であったことを教えます。
聖地はナザレにある受胎告知教会の地下に、天使ガブリエルがおとめマリアに現れたと言われる場所があります。そこにある記念の祭壇には、ラテン語で「ここにてみことば(ロゴス)は肉体となりたまえり」と刻まれています。ベツレヘムの聖誕教会ではなく、受胎告知のあったナザレのこの場所こそ、神の言であるキリストが受肉され、この地上に記された神の第一歩だったのです。

今週も大切なことを大切に。

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クリスマスの目的

待降節第2週
メッセージ 「クリスマスの目的」
聖書 ヨハネによる福音書1章10-14節
ヨハネによる福音書シリーズ(クリスマス編)

1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

創世記
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。はお前の頭を砕き、お前はのかかとを砕く。

イザヤ書
7:14 それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ

ガラテヤの信徒への手紙
4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
4:5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。

ヘブライ人への手紙
10:5 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために、体を備えてくださいました
10:6 あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
10:7 そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」

今週も礼拝の恵みに感謝。

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死の影(Shadow of Death)



イギリスの画家ウィリアム・ホルマン・ハントと言えば「世の光(The Light of the World )」という扉をたたくキリストの作品が有名ですが、彼は「死の影(Shadow of Death)」という作品を描いています。一日の仕事を終え、仕事場で両手を広げた青年イエスを描いたものですが、夕陽を浴びて、背景の壁に映ったのは十字架の影でした。それに気付き、驚きを隠せないマリアの後ろ姿も印象的な一枚です。
この絵を探しているときに、もう一枚の絵を見つけました。作者もわからないものですが、そこに描かれているメッセージは同じです。こちらは青年イエスではなく、幼子イエスが、大工であった父ヨセフの足もとで、そこに落ちている大きな釘を拾っている、その影がやはり十字架の形をしています。ベツレヘムからカルバリーまで、黙々と十字架を背負われたイエスの生涯を象徴すような作品です。
水野源三さんの「み心なのですか」という詩を紹介しました。「父なる神様、私たちを罪より救うため、ユダヤのベツレヘムに今宵お生まれになった御子イエス様を、十字架にかけるのがみ心なのですか。避けられないのですか。ちがう方法はなかったのですか。」源三さんは、そう問いかけながら、ベツレヘムとカルバリーをみごとにつなげました。救い主の降誕を待ち望み、お祝いするアドベントに、キリストの埋葬の話をしましたが、この話は本当につながっています。
ルカによる福音書の2章、羊飼いに与えられたしるしを覚えていますか。それはおとめマリアより生まれ、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている乳飲み子」ということでした。なぜそれがしるしだったのでしょうか。当時の家畜小屋(馬小屋)というのは、洞窟のような場所だったと言われていますが、ある洞窟は墓場としても使われていたというのです。そして、そこには遺体をくるむための布が置かれていたそうです。であるとすれば、イエスがくるまれていた布とは、貧しい両親が用意した産着というよりも、遺体をくるむための布であったのかも知れません。アリマタヤのヨセフとニコデモがイエスの埋葬に当たって、亜麻布にその体をくるんだように、イエスはあの夜、墓場で布にくるまれていたのです。

次の日曜日はアドベントの2週目。ロウソクの灯を見つめながらクリスマスを待ち望みます。

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復活に達したいのです

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
フィリピの信徒への手紙3章から。

3:7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
3:8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、
3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。
3:10 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
3:11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

今週は神学生が、言泉集『パウロ獄中書簡』からお勧めをしてくださいました。
パウロの体験を私たちも深められますように。

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み心なのですか




来年1月の『ぶどう樹』に瞬きの詩人、水野源三さんのことを書きました。今年もクリスマスのシーズンに源三さんの詩を聖歌隊が賛美しています。曲の雰囲気もありますが、歌われている歌詞がすばらしいです。源三さんの詩が醸し出す温もり、静けさ、安らぎ、星を見上げる宇宙大の広がり、そんな詩がどれも瞬きから生まれたとは誰が想像できるでしょう。
源三さんは、長野県坂城町で生まれ、小学4年生の時、集団赤痢からの高熱が続き、脳性麻痺となり、見ること聞くこと以外、何もできなくなりました。瞬きで、わずかに意思を伝えるだけの暗闇に突きおとされた源三さんは、何度も死を願いました。ところが、彼の母に手渡された一冊の聖書が、彼に光をもたらしたのです。母が仕事の合間にめくってくれる聖書を、彼は読み、やがてルーテル・アワーというキリスト教のラジオ番組を通して、信仰に導かれます。あるとき、彼の母うめじさんが、50音図を書いて、彼の瞬きが示す字を拾ってつなげてみると、なんとそれが詩になっていたというのです。
源三さんは詠います。「今きいたこと、見たこと、心に感じたこと、忘れないうちに、消えないうちに、主のうるわしいみわざを、賛美する詩をつくる」と。そんな一瞬の、瞬きの中から生み出された源三さんの詩、祈り、信仰の言葉、メッセージに心を洗われます。
クリスマスの季節に書かれた詩も多く見られますが、その一つを紹介します。「み心なのですか」という短い詩です。「父なる神様、私たちを罪より救うため、ユダヤのベツレヘムに今宵お生まれになった御子イエス様を、十字架にかけるのがみ心なのですか。避けられないのですか。ちがう方法はなかったのですか。」
ヨハネによる福音書を5年かけて、19章まで学んできました。のこり2章は年が明けてから、3月中に終わらせたいと思っていますが、もう少しだけキリストの埋葬に触れておきたいと思います。「アドベントにキリストの埋葬ですか?」と言われそうですが、ベツレヘムからカルバリーまで、そこに示された神の愛を発見したいと思います。

今週も大切なことを大切に。

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ベツレヘムからカルバリーまで

待降節第1週
礼拝メッセージ 「ベツレヘムからカルバリーまで」
聖書 ヨハネによる福音書19章38-42節ほか
ヨハネによる福音書シリーズ(183)

19:38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
19:41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
19:42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

今日から待降節、クリスマスを待ち望みます。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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12月のオープン礼拝



次の日曜日から12月、教会のカレンダーも待降節を迎えます。
今年もクリスマスを待ち望むシーズンがやって来ました。
12月は毎週、教会は初めてと言われる方にもわかりやすいオープン礼拝です。
ぜひお誘い合わせて、教会でのクリスマスの祝い方をお楽しみください。
みなさまのご来会を心からお待ちしております。

22日の礼拝はクリスマスの祝賀礼拝、聖歌隊によるキャンドルサービスと聖誕劇による音楽礼拝です。
フルートとヴァイオリンの素敵な演奏もあります。ぜひお出かけください。

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