間を隔てている壁



昨日の礼拝、司会をしたH神学生が、先日参加した教会音楽部セミナーの恵みを証しした後、聖歌隊が「イェルシャライム・シェル・ザハヴ(黄金のエルサレム)」を歌いました。聖イエス会でこのイスラエルの歌がヘブライ語で歌われるようになったのはいつからかわかりませんが、1970年の3月に、神戸にあるシナゴグ(ユダヤ教の会堂)の献堂式祝賀会に、大槻先生と聖歌隊が招待され、そこで「イェルシャライム・シェル・ザハブ」を歌ったという記録が残っています。来年で50年になりますが、その頃からずっと歌い継がれている曲です。
今年はベルリンの壁が壊されて30年という話題がニュースになっていましたが、50年前の集会の後、大槻先生が「ユダヤ教とキリスト教との出会い」という意義深いメッセージを語っておられます。異邦人のクリスチャンが歌うヘブライ語の歌にユダヤ教徒が熱狂した様子は、ユダヤ教とキリスト教の断絶の壁を打ち破ったという内容です。メッセージはエフェソの信徒への手紙の言葉で終わります。「かつては遠く離れていたあなたがたが、今は、キリスト・イエスの血を通して近いものとされたのです。なぜなら、彼(キリスト)は私たちの平和、私たちの一致と調和のきずなであるからです。彼はユダヤ人と異邦人の両者を一つにして、私たちの間を隔てる壁である敵意を取りこわし撤去されたのです。そしてまた、ご自身の十字架によって一つのからだに統一されたものとしてユダヤ人と異邦人との双方を神に和解させようと意図されたのです。彼(キリスト)はその十字架によって相互間の不和を滅ぼされ、反目を終結させられたのです。」

今週も大切なことを大切に。

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イエスの御傷の神秘

礼拝メッセージ 「イエスの御傷の神秘(後編)」
聖書 ヨハネによる福音書19章31-37節、ゼカリヤ書12章10節、13章1節
ヨハネによる福音書シリーズ(182)

19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
19:36 これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
19:37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。

12:10 わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。
彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、
独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。

13:1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。

聖歌隊の練習後、ヨハネ会のお楽しみ会が持たれています。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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その骨を折ってはならない



「彼の骨は一つも砕かれない」との御言葉は、詩編34編21節からの引用です。「主は彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、おられることはない」(新改訳2017)。この詩編はダビデによるものですが、神が義人をお見捨てになることはないという確信が歌われています。確かにイエスは、人類の罪を背負い、呪われた者となり、父なる神から見捨てられるという経験を味わわれましたが、それによって、イエスの義が明らかにされました。父なる神の御心を実現するために、イエスは自分を無にして、死に至るまで、それも十字架の死に至るまでお従いになられたからです。
「彼の骨は一つも砕かれない」との言葉は、もう一つのことを私たちに思い起こせます。出エジプト記の12章です。そこには最初の過越のことが詳しく記されていますが、主の過越において、家々で屠られる小羊については、「その骨を折ってはらない」と命じられています。
ヨハネ福音書の冒頭で、メシアの先駆者である洗礼者ヨハネがイエスを何と言って紹介したか覚えていますか。ヨハネはイエスを指さしてこう言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。そして今、その骨が折られなかったという事実によって、イエスこそ過越の小羊、世の罪を取り除く神の小羊であることが証明しているのです。
あの夜、屠られた傷のない小羊とは、私たちの罪の身代わりとして、贖いの犠牲(供え物)として死なれるイエス・キリストを指していたのです。聖書はこう言っています。「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活(罪の奴隷)から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」

明日は志摩にあるテベリヤ教会の礼拝を豊田教会が担当してくださいます。
日曜日は尾道市向島にある立花教会でチェンバロコンサートが持たれます。

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一人も

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
ヨハネによる福音書3章から。

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

一人のために、祈れ、祈れ、祈れ。

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ゴルゴタの丘で



ヨハネはイエスの最後の瞬間を十字架の言葉と共に証言しました。イエスは「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて(十字架を枕する所とされて)、その霊を父なる神に返されたのです。この後、他の福音書では、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた出来事を記すのですが、十字架のもとにたたずむヨハネは、カルバリー山上での出来事を更に詳しく伝えています。
その日は「準備の日」であったと記されていますが、それは安息日の準備の日という意味で、ユダヤ教では金曜日のことです。特にその翌日は過越祭の特別な安息日(大いなる安息日)でした。
ローマ法では、死刑囚の埋葬は禁止されていました。しかし、その日、ユダヤ人には、一刻も早く死体を十字架から取り降ろしたい事情がありました。ユダヤの律法では、日没を越えて囚人の死体をさらしておくことを許していなかったからです(申命記21:22-23)。ましてや、大いなる安息日が来ようとしているのですから、なおさらのことです。
イエスを十字架に渡したユダヤ人の指導者たちは、囚人の足(具体的にはすね)を折ってから死体を取り降ろすようにピラトに願い出たところ、ピラトはそれを承諾しました。すねを折るのは、死の時間を早めるためです。十字架に付けられた罪人は、長い時間をかけて最後は窒息して死にます。すねを折ると、体の支えがなくなり、呼吸ができなくなって死を早めました。
兵士たちは、息の残っていた二人の囚人のすねを折りましたが、イエスのすねは折りませんでした。イエスがすでに息をしていなかったからです。しかし、兵士の一人が、すねを折る代わりに、槍でイエスのわき腹を刺しました。すると、すぐ裂かれたイエスの御傷から、血と水とが流れ出るのをヨハネは目撃しました。
ヨハネが見た血と水にはどのような意味があるのでしょう。ある学者は、医学的な説明を試みています。兵士が、槍で死体のわき腹を突き刺した理由は、イエスの死を確認するためでした。その人物がまだ死んでいないなら、槍を刺した時に水と血が分かれて出てくることはないのだそうです。その学説によると、極度の精神的身体的苦痛のために心臓が張り裂けると、心臓を取り巻いている心膜に血液が流れ込み、透明な血清のそうと深い赤みを帯びた血の層が分離し、時には2リットル程の水と血が溜まるのだそうです。
そのような状況で、兵士がイエスのわき腹を槍で刺した時、ただちに血と水が流れ出たという報告は、2つのことを証言していることになります。1つは、イエスは確かに死んでおられたという事実。もう1つは、イエスが極度の精神的身体的苦痛を味わわれたという事実です。この医学的な解説が理にかなったものであるかはともかくとして、イエスのご受難について、深く考えるきっかけを私たちに提供していることは確かです。主の苦しみを覚えましょう。しかし、それ以上に、ヨハネが私たちに指し示していることがあります。それは、聖書に書かれていることの成就と言うことです。

今週も大切なことを大切に。

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イエスの御傷の神秘

礼拝メッセージ 「イエスの御傷の神秘(前編)」
聖書 ヨハネによる福音書19章31-37節
ヨハネによる福音書シリーズ(181)

19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
19:36 これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
19:37 また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。

今日は礼拝の終わりに、こども祝福式が行われ、教会の皆さんとこどもたちの健やかな成長を祈りました。
今週も礼拝の恵みに感謝。

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枕する所



イエスは十字架の上で神の御心をすべて成し遂げられました。ヨハネは、このイエスの言葉を受けて、言葉を続けます。「イエスは・・・『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」ここでヨハネはとても注意深く、「頭を垂れて」と記しています。十字架の上で息を引き取ると、首をガクンと落とすような場面を想像される方もいると思います。しかし、この「垂れる」という言葉は、そういう意味の言葉ではありません。この言葉は、ギリシア語で「クリノー」と言いますが、マタイによる福音書9章では「枕する所」と訳されています。「イエスは言われた。『狐は穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子は枕する所もない』」と言うのが「クリノー」、「頭を垂れて」と同じ言葉です。
もともとは「傾ける」とか「横たえる」という意味ですが、イエスは十字架上で、実際に前か後ろか、左か右かはわかりませんが、頭を垂れたのでしょう。でもヨハネは、まるでイエスが首を後ろに静かに寝かせるように、十字架を枕にして、静かに息を引き取られたと私たちに伝えているのです。
宗教改革者マルチン・ルターがこう言いました。「キリストは何も持たずに来た。借りた家畜小屋でお生まれになり、借りた小舟の上で神の国を語り、借りたロバの子に乗り、借りた部屋で最後の食事をし、借りた墓に葬られた」と。そんなキリストがこの地上で唯一、これだけは自分のものだと主張されたものがあったとすれば、それはキリストが最後にその頭を横たえられた場所ではなかったのでしょうか。キリストはそこで私たちの罪の終わりとなり、救いの始まりとなってくださったのです。
ヨハネは十字架のもとにたたずみ、その愛のただ中で叫びます。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。・・・ここに愛がある」と。

さわやかな秋晴れが続いています。

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新しい歌

今週も祈祷会を大切に。御言葉をシェアします。
詩編96編から。

96:1 新しい歌を主に向かって歌え。
全地よ、主に向かって歌え。
96:2 主に向かって歌い、御名をたたえよ。
日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 国々に主の栄光を語り伝えよ。
諸国の民にその驚くべき御業を。

今週は、教会音楽部セミナーに参加したH神学生から、セミナーの恵みを分かち合っていただきました。

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聴くドラマ聖書



10月31日と言えば、巷ではすっかりハロウィーンですが、教会では、あのマルチン・ルターが1517年にヴィッテンベルク城教会の扉に95カ条の提言(公開質問状)を貼り出した歴史が動いた日、世に言う「宗教改革記念日」です。中世において、聖書と言えばラテン語訳の聖書を指していた時代に、ルターは聖書をドイツ語に訳し、だれでも自分の言葉で読むことができるようにしたのです。ですから、宗教改革とは、当時の腐敗した教会へのプロテスタント(抗議)ではなく、聖書を読む運動、聖書に帰る運動であったということです。
読書の秋、しっかりと聖書を読んでいただきたいと思います。とは言え、活字離れが進み、なかなか本の売れない時代に、ぜひ皆さんに紹介したいものがあります。それが「聴くドラマ聖書」というアプリです。無料でスマホやタブレットにダウンロードして聖書を聴くことができます。聖書66巻がドラマ仕立てで朗読され、テレビなどでお馴染みの俳優さんが聖書を朗読しています。
コミュニティで聖書を聴くというバイブルクラブというプログラムもあって、日本中に聖書を広めようというすばらしい働きです。1年半の準備を経て、アメリカ、韓国に続き、日本でもこの秋、ついにリリースされました。
この壮大なプロジェクトは、一人のビジネスマンの挫折から始まったということが冊子に書かれていました。ウォールストリートで活躍していたビル・ファンが事業に失敗しました。葛藤の中、牧師の息子であった彼は、自分のルーツとも言える聖書のオーディオブックに手を伸ばして聴きます。すると落胆していた心に、聖書の言葉が沁みました。再び立ち上がる勇気を得た彼は、一つのビジョンを持ちます。聖書の言葉を聴くことによって、生きる力を得る聖書アプリを作る文化財団を立ち上げること。それを特に社会から疎外されている人に届けること。彼は、G&M(Grace and Mercy )Foundation、恵みと憐れみ財団を設立し、このアプリを完成させたのです。
財団の小冊子に細かい文字でこんなことが書いてあります。日本人の毎日の平均通勤時間は往復で79分。ドラマ聖書は全体で150時間、9000分。毎日通勤中に聴くと、100日程度で旧新約聖書をすべて聴くことができます。通勤通学の電車や車の中で、家事をしながら、ジョギングやウォーキングのあいまに、聖書に親しみ、聖書から神の声を聴く、これは新しい宗教改革なのかも知れません。ぜひお試しください。

今週も大切なことを大切に。

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成し遂げられた

11月のオープン礼拝(秋の召天者記念礼拝)
礼拝メッセージ 「成し遂げられた(後編)」
ヨハネによる福音書シリーズ(180)
聖書 ヨハネによる福音書19章28-33節

19:28 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
19:29 そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
19:33 イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。

今週も礼拝の恵みに感謝。

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